對木博一プロフィール 大手企業で32年間、人事労務と労働衛生の実務を経験し、両部門の管理職として多くの問題に対応。 人事労務では、人事異動を検討する際に、業務能力の適正だけでなく、職場上司や同僚とのマッチングをも考慮して、異動後の不適応を緩和させた(マッチング人事)。 その他にも人事考課の折衝・調整、新入社員採用4次面接官、労働組合対応や過重時間外管理、海外赴任対応などから、要員管理・リストラまでも経験。 2014年 合同会社アール設立 2019年 一般社団法人 日本衛生管理者ネットワーク設立
30歳で起業を考えるも経験不足を痛感し断念
起業を考えた年齢と実際に起業した年齢をお聞かせください。
最初に起業を意識したのは30歳くらいのときです。人事労務と労働衛生の実務に携わっていたので、この分野の専門性を生かして独立したいと漠然と考えました。でも、当時を振り返ってみるとそれは単なる思いつきでしかなくて、独立できる実力は伴っていなかったように思います。 私たちの仕事は目の前にある商品を売る仕事ではないので、自分自身に付加価値がないとクライアントから選ばれません。クライアントが困っていること、悩んでいることに耳を傾けることは誰にでもできますが、論理的思考に基づき、具体的に問題や課題を解決していくには、30歳の段階では経験不足であることは明らかでした。納得できる仕事をするためには、まだまだ研鑽が必要だと考え30歳での起業は断念しました。 その後は会社で責任のあるポジションを任され、日々忙しく過ごしていたため、起業について考えるひまもありませんでした。再び起業について考えたのが54歳のときです。翌年の55歳で、20年年来の夢を実現させました。
定年後のライフプランを考えたとき、生活の安定よりもやりがいを重視したいと思い55歳で起業
大手企業の管理職として活躍していた中、どうして再び起業を考えたのですか?
定年を迎える60歳は、多くのサラリーマンにとって人生のターニングポイントです。今は延長雇用制度もあり、同じ会社にとどまることもできますが、賃金水準は大幅に下がりますし、今までのように管理職として部下を統率する役割ではなくなります。 定年後の社内での立ち位置や仕事内容などをふまえ、これまでのようにモチベーションを維持しながら働くことができるだろうかと思案し、私自身には難しいのではないかという結果に至りました。 先にリタイアされた先輩方を見ても、75歳くらいまではみなさんとても元気です。60歳を5年後に控え、第二の人生を意識する年齢に差し掛かった時に、自分が人生で求めていること、本当にやりたいことを深く掘り下げてみました。 そして、私が目指すのは、「生活のためにただ働くのではなく、自分がやりがいを持って楽しく仕事をすること」だと改めて気づくとともに、起業について25年ぶりに考えました。 退職・起業する前は、大学の非常勤講師や企業研修会の講師を務めるなど自社以外の業務にもこなし、仕事の幅も広がっていたので思い切って起業することにしました。
30年以上の経験があるからこそできる、自分自身の強みに立脚したビジネスを
事業内容はどうやって決めましたか?また現在の事業の主軸について教えてください。
大手企業で32年にわたり人事労務と労働衛生の実務に携わり、両部門の管理職として多くの問題に取り組んできたので、これまでの経験で培ったノウハウには自信がありました。 これら実務力と経験値を強みとして、企業内の衛生管理者を中心に、産業医、保健師、看護師、カウンセラーといった労働衛生スタッフをサポートする研修やコンサルティングを行う会社を立ち上げました。「人の働き方と健康のバランス」をテーマに、職場の労働衛生問題の解決策を具体的に考えていくお手伝いをしています。 そもそも組織内の課題が正しく顕在化されていないこともあります。仕事が滞ったり、ミスが続いたりという業務上の問題、精神的や肉体的な不調など職場で発生する問題は多種多様です。 私たちの仕事は、例えば「おなかが痛い」「頭が痛い」といった症状を一時的に抑える対症療法ではなく、痛みの原因を追究し根本的に治していくことです。 薬を飲んで終わりではなく、まずは病気になった原因をつきとめて生活習慣を見直すなど、根本の改善に取り組まなければ何度も再発してしまいますよね。ひいては、「病気にならないためにどうすればいいのか」を考えなければなりません。 働き方改革で過重労働、長時間労働が良くないということは周知されていますが、長時間労働をやめればいいという単純なものではなく、労働時間が適切であっても上司の言葉や態度一つが大きなストレスにつながるケースもあります。 労働密度や労働強度という側面も踏まえて、働き方と健康のバランスをしっかりとることが何よりも大切だということを、多くの人に理解してもらうことを目標にしています。
サラリーマン生活が長ければ長いほど起業後の不安はつきもの
起業して不安や苦労はありましたか?また、いつ頃から事業が安定してきましたか?
サラリーマンを長年やって起業したので、生活スタイルの変化に最初はとても戸惑いました。神奈川の自宅から東京の品川まで毎日通勤していたのですが、通勤に片道1時間半もかかるんです。 毎朝5時半に起きて、6時20分の電車に乗るという生活を30年以上続けていたため、「決められた時間に・決められた場所に行って・決められた仕事をする」というスタイルが体にしみついていました。 でも、起業した当初は仕事も少なく「起きてもやることがない」という毎日。規則正しく積み上げてきた自分の生活スタイルから外れたことで、なぜか悪いことをしているような気持ちになりました。 例えば、平日の日中に車を洗っているだけですごい罪悪感なんです。仕事もほとんどないし、売上もない。とにかく不安感だけが募っていました。 起業から半年くらいたった頃、ようやく講師業やコンサルティングなどの依頼が増えてきました。今ではありがたいことに活動領域も広がり、大手企業の研修会などを任される機会も多くなり忙しく過ごしています。
モチベーションを維持できる仕事は心の充実につながる
起業して、改めて実感することはありますか?
終身雇用や年功序列といった旧来当たり前であった日本の雇用体制は時代とともに変わりつつあります。一つの会社に、一生涯骨をうずめる覚悟で働くのは今や美徳ではありません。優秀な人材であればあるほど、さまざまなフィールドで仕事ができるはずです。 今は、個人が自分の強みをもとに独立起業できる時代です。特に50代以降の人たちは、今まで培った経験やスキル、人脈などを多分に生かすことができるはずです。 私自身は、サラリーマン時代とは違い、自分が興味のあること、面白いと感じることにチャレンジできるのかと思うとワクワクしますね。 自分のモチベーションを維持できる仕事に就くことができ、自身の能力を存分に発揮できることが何よりもうれしく、心の充実につながっています。
人とのかかわりを積極的に持つことで多様な考えに触れることができる
これから起業を目指す人にメッセージをお願いします。
起業するにあたり、私が改めて重要だと思うのが「人柄」です。 クライアントが訴えていることは何か、それを理解するために丁寧に耳を傾け本質を見極めることは、ビジネスにおいて欠かせない要素です。 密にコミュニケーションをとりながら、相手が本当に求めることを会話の中からくみ取ることが大切で、そこがうまくいかなければクライアントと信頼関係を築くことができません。 信頼関係がなければ、お付き合いも細く短いものになってしまいます。私が目指すのは長く太い仕事です。 起業すること自体はそこまで難しいことではありません。しかし、自分の事業を長く太くするためには、「自分が決めたことすべてにおいて責任を取る」という覚悟がいります。 起業前に、専門性の高い資格の取得などを考える方もいらっしゃると思いますが、資格はあくまでもツールです。状況に応じて、外部の人を使うことで対応できるケースもあります。 資格取得などにこだわるよりも、お願いした時に快く応えてくれるような人脈、委託した業務を含め自分の案件の進捗管理をするマネジメント力、これらすべてを包括した人柄、いわば人間力を備えることが必要だと私は考えます。 また、知識量においてはAI(人工知能)には到底かないません。今後ますますAIが身近になる中で、私たちは「人間だからこそできること」で勝負するしかありません。 最後にお伝えしたいことがあります。 できるだけ、多くの人と話す機会を持ってください。なぜなら、それぞれの人がもつ価値観を知ることができるからです。 どんな仕事でも必ず人が関わります。多様な考えに触れ、思考を深める。これらを積み上げていくことで物事の本質を見抜く力が身につくと思います。人との出会いは財産です。一つひとつの出会いが素晴らしい未来につながっていると信じています。